小生
大きな思い違い?をしていたようだメンゴメンゴ
「むぅ士郎ルー・リードも所謂ディランズ・チルドレンと云って良いのかな?」と思い
チラ〜っとヤフーでググって見たトコロ
AIに「違います。ディランには6人の息子がいますが、ルー・リードという子はその中に居ません」
とかなんとかマジレスされてしまって
要はディランズ・チルドレンなんて言葉は日本人が岡林信康辺りのJ-ディラン・フォロワーを
格調高く?表現するために勝手に作った造語で
アメリカ本国にはそんな括り/ジャンル/家族は存在しなかったのでR
なので・・・
エリオットもブルースも全くディラチルなんかでは無かったのだー
そういや以前『バーバンク・サウンド』でも同じトラップにかかったけど(ry
ただし
ルーがボブ好きなのは確かな様で
むしろ他の誰にも興味なくてディランだけは好きだったみたいな話がどこかに書いてあった
,. Lou Reed – Transformer(’72 RCA ソロ2nd)

ヴェルヴェット・アンダーグラウンドは10年位遅れでの日本盤リリーッスなのに対し
ルー・リードのソロになるとヴェルヴェットの1stさえまだ出てない翌年’73年には
押っ取り刀でリリーッスされていたという当時のこのおかしな?現実を
日本の評論界はもっと反省して見つめ直した方が良い
ま
それはこのアルバムが扱っている内容のある意味反社会的な衝撃性もあったんだろうけど
やっぱデイヴィッド・ボウイー&ミック・ロンスンのプロデュース作ってのが大きかったのでわ?
小生
ルーは事ある毎に”Rock And Roll”とか云ってる割には
本来はソフト・ロックにも普通に走りがちなフォーク畑の人で
要は歌詞重視で逆にあんまり音像やスタイルには拘りが無かったのではと思っており
それはヴェルヴェットのアルバムでの統一性の無さや
グダグダなダグ・ユールに緩〜くまかせちゃうトコロからも察せられ魔性か
(あくまで個人的見解です)
このアルバムもむっちゃボウイーっぽく
サウンドはボウイーの宇宙に支配されており
もっと云えばボウイーがマーク・ボランっぽく演ったような曲もある
んでででででででで
何故最初にディランの話をしたかというと
小生がザ・バンドのアルバムは好んで聴く気がするけど
主たるディランの音楽そのものには特に興味無いのと同じだからだ
要は
歌詞が頭に入ってこないとイマイチ凄いと思えないフォーク系特有のパティーンと云えま唱歌
なので禿しく前述ながらブルース・スプリングスティーンも同様に
歌詞は凄いけど音楽は平凡に聞こえるのよね
(あくまで個人的感想です)
ま
このアルバムは『Walk On The Wild Side』が最高だし(特にサックスのソロ)
「よーしパパ
ルー・リードわソロも評価高いしこれからえろえろヤヴァいレコをガンガン聴き込んじゃうぞ〜」
なぞと決心した盤なのでした
(つずく)

真トランス・ロッカーのウェイン・カウンティー(&ザ・エレクトリック・チェアーズ)による
パンクスとテッヅの仲直り大作戦企画盤『Eddie & Sheena(’78)』の元ネタは
“Transformer”A-4のリーズ・ブギー(ボランズ・ブギーに対するトコロの)
『Hangin’ Round』だったのでした
※ジャケ写でのTedsのモデルは前述The RockatsのEddie Dibbles