イーノは

プログレッシヴロックはパンクロック

プロとしてエスタブリッシュされたミュージシャンで最も最初にパンクと交わって爪痕を残した人かもしれない

 

.  Television With Bryan Eno – 1974, Hollywood Session Live At The “Fairland Studios”(Pentagram ブート)

 

イーノが録ったテレヴィジョンのデモ

インタヴューを読むとイーノはエンジニア的な関わりだったようだし

実際は当時アイランドのA&Rだったリチャード・ウィリアムズと共同でプロデュースしたようだ

音質はブートだというせいかもしれないがプロが関わったとは思えないレベルにショボくて酷く

それを聴いた当時の関係者も皆そういう印象を持ったようだ)

要は

アイランドが当時のロックシーンの閉塞感を破るような新しい波をキャッチしようと

何かが起こっているらしいと噂のNYに二枚のソロを作った後の新進気鋭のイーノを連れて行き

テレヴィジョンを捉まえてハリウッドで(←ここは謎)このデモを録ったが

それをロンドンに持ち帰って聴かせたアイランドの幹部連中にはまだ新しすぎたのか

はたまたトム・ヴァーラインのシャツのように破れかぶれで終わっているゴミの様に視えたのか

結局南極デモ→デビューの話はご破算てか無視され

最終的にザ・ドアーズが居たエレクトラの扉を叩いた結果1stアルバムは2年後にリリーッスされる事になり

第何十回目かのデッカ・レコーヅの失敗を繰り返したと云う

むぅ士郎

結果的には見る目の無い島民達に相手にされずに良かったのかも

デモテープはロバート・フリップにSpecial Thanksが捧げられた

(結論:パンク・ロックはプログレッシヴ・ロック)

 

ただし

曲の基本的な演奏・構成は1stとほぼほぼ同じですでにもう完成されている状態

トムが敬愛しカヴァーもしておりバンドのモデルとなった様な13th Floor Elevators他の

所謂ナゲッツのオリジナル・パンク・バンドはせいぜい10年程前の事で

アンテナが錆びたまま惰性でやってる業界人から見たら当時のNYアンダーグラウンドのバンド群なんて

ただの時代遅れの演奏技術もゴミなバンドに思えたんじゃないだろうか

(あくまで個人的見解です)

実際

CBGBやマクシズのオムニバスに収録されている有象無象のバンドの大半は今聴いてもそんな感じが拭えないワケで

あくまで個人的体験だが当時のジャップでも『サイケデリック』という単語は結構恥ずかしい死語だった

 

クレジットとは違い実際のベーシストはリチャード・ヘルだと云う

B-3″High Voltage Pleasure”はイーノとの共作になっているが

(実際は13th Floor Elevatorsの”Fire Engine”が原曲)

この曲のみどこかの会場でのライヴ録音で観客の拍手も聞こえる

タイトルとURLをコピーしました